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新書の乱読と「ウェブ人間論」 追記。

昨日、「新書の乱読と「ウェブ人間論」」という記事を書いてから、何となく、本とネットの違いについて、ツラツラと考えてみた。

物理的な表示方法でいうと、本は紙、ネットはディスプレイという違いがあるが、実はそれは大した違いではない。なぜなら、本をスキャンすればパソコンのディスプレイに表示できるし、その逆も可能だからだ。それよりも根源的な違いは、先の平野氏がいうとおり、本はリニア(直線的)であり、ネットはノンリニア(非直線的)であるということに尽きると思う。
では、なぜそうした違いがあるかというと、それはリンクの有無にある。ネットはその登場のときからリンクという概念を備えている。それは、ある情報を読んでいても、そこに張り巡らされたリンクによって、情報が蜘蛛の巣のようにどんどん広がっていくというイメージだ。これが、頭からお尻まで一人の書き手の思想に連れ添って直線的に読み進まざるをえない本と、決定的に異なる点である。
実際、ネットの記事を読んでいると、その途中でまったく違うサイトに飛んでしまい、気がついたら、本来の記事ではなく、リンクの先の先にある記事を堪能していたということも少なくない。また、今をときめくiTunesにしろYouTubeにしろ、そこでは作り手のこういう順番に楽しんで欲しいというリニア性(お仕着せ)は存在しない。あるのは、あくまでも受け手の価値判断でしかない。そもそも、音楽や動画よりかなり古くから存在するネット上のテキストは、html化されたそのときから、受け手重視のスタイルだったはずである。
そして、出版業界が年々、発行部数や売り上げの縮小を余儀なくされているのは、こうしたネットの状況と無関係ではない。それは、つまり、「現代=ノンリニア志向」ということでもある。ちょっと逆説的になるが、そもそも新聞や週刊誌、月刊誌は、出版物の中ではどちらかというとノンリニアな部類に属するもので、そこが読者に支持されていたともいえる。しかし、今ではそのノンリニアさゆえに、ネットと食い合っているという気もしている。ということは、バリバリのノンリニアである小説はネットと食い合うところがないから、案外、生き延びて、どちらかというとノンリニアな作りである新聞や雑誌がネットに吸収される。本とネットの未来は、そんな図式なのかもしれない。

う〜ん、だとすると、僕が生計を立てている雑誌の生き延びる道は、雑誌でありながらいかにリニアな作りにしていくか、ということになるけど、これって、ちょっと禅問答みたいです。
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